久しぶりの投稿になりました。
最近はありがたいことに、仕事の方がかなり忙しくなっていて、なかなかこうして文章を書く時間が取れずにいました。
ビジネスは順調に成長しています。
月の売上は今は平均して1,000万円を超えるようになり、今年中に月3,000万円まで引き上げるつもりで動いています。
仕組みも整えてきているし、やるべきことも明確なので、達成は現実的だと思っています。
さて、話は変わりますが──
先日ふとした時に、ある違和感を覚えたことがあって、今日はその話をしてみたいと思います。
Contents
車の色って、なんで白と黒と銀ばかりなんだろう?
アルファード、ランクル、ノア、ヴォクシー、クラウン、レクサス…。
街中で走っている高級車やミニバンを見ていると、白・黒・銀のどれかしか見かけない。
これはたまたまじゃない。明らかに偏っている。
本来、色の好みなんて人それぞれなはずだ。
赤が好きな人もいれば、青が好きな人、オレンジが好きな人だっている。
なのに、選ばれる色は決まって白か黒かシルバー。
なんでこんなことが起きてるのか?
答えはたぶんシンプルで、多くの人が「売ること」を前提に車を選んでるからなんだと思う。
経済性が判断基準になったとき、人は本音を捨てる
リセールバリューを考えると、
「派手な色は避けよう」「無難な白か黒にしておこう」
そんな選択になってしまう。
本当は青が好き。
でも「やっぱり黒の方が高く売れるし」って自分に言い聞かせて、そっちを選ぶ。
こうやって人は、自分の感情や本音をねじ曲げて「納得したふり」をしていく。
その繰り返しが今の“白黒だらけの街並み”をつくってるんだろうなと感じた。
逆に軽自動車はカラフルなものが多い。
これはきっと、軽を買う人たちの中には「売ること」よりも「自分の好き」を優先して選んでいる人が多いからなんだろう。
考えるのはしんどい。でも考えなければ、何も変わらない
この話って、ただ車の色の話じゃない。
今の社会の縮図でもあると思ってる。
本当はどう思ってるのか?
本当は何が好きなのか?
それをちゃんと見つめる前に、
「どう思われるか」「あとでどうなるか」「損得はどうか」みたいな判断が先に来てしまう。
そんなことばかり考えてたら、気づいた時には“本当の自分”がどこにいるのかすら分からなくなってしまう。
もちろん、考えずに済むならそれが一番楽だ。
自分の本音に向き合うのは、しんどいし、面倒くさいし、痛い。
でも、自分を偽ったまま手に入れた「正しさ」は、本当の意味での幸せには繋がらない。
僕は昔から考えすぎる子どもだった
小学低学年の頃、
「お父さんとお母さんは、いつか必ず先に死んでしまう」って思って、布団の中で泣いてた。
強風が怖くて泣いたり、寂しくて保育園に行けなかったり。
兄のクラスに一緒に居させてもらって、やっと落ち着いて過ごせるような子どもだった。
今思えば、変わった子どもだったと思う。
でも、その“過剰な感受性”が、今の自分をつくっている。
人の感情の機微に気づける力、
小さな違和感から物事の本質を掘り下げる力、
社会の矛盾にちゃんと怒れる感性。
どれも「考えすぎた過去」がベースにある。
だからこそ、これを僕の“武器”にしていく
世の中を見渡すと、思考停止してる人は山ほどいる。
でも、僕は違う。
考える。疑う。掘り下げる。そして、自分なりの言葉で語る。
その感性は、僕にしか持てないものだと思ってる。
だからこそ、これを「強み」に変えて、これからの人生で人の役に立つことに使っていきたい。
このブログもその一つ。
言葉にすることで、誰かの気づきになるかもしれないし、
考えすぎて苦しんでる誰かの救いになるかもしれない。
そんな願いを込めて、また少しずつ発信していこうと思う。