本当の優しさって何だろう?

――逃げることのツケと、“考えること”をやめた社会に向けて

最近、世の中を見ていて思うことがある。

やたらと「苦しい」「生活が厳しい」「物価が高い」「給料が上がらない」といった声ばかりが目立つ。 SNSを開けば、ネガティブな感情の垂れ流し。 ニュースを見れば、減った・失った・奪われたという言葉が並ぶ。

でも、ふと思うんだよ。

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失ったものにばかり目を向けて、今あるものを見ていない

たとえば物価が上がって、生活が苦しくなったと感じる人が多い。 だけど、じゃあ「今あるもの」はどうなんだろう?

  • コンビニに行けば24時間いつでも食べ物が手に入る
  • 飲食店に行けば、1,000円ちょっとで十分に美味しく満腹になれる
  • アルバイトでも、時給1,000円以上で誰でも雇ってもらえる社会

これ、世界的に見たらとんでもなく“豊か”な状態だよね。 でも多くの人は、それを「当たり前」だと思っている。

当たり前にしてしまった瞬間、人は感謝も幸福も失う。 そして、“もっとよこせ”が始まる。

不満を言う前に、ちゃんと考えたか?

「給料が上がらない」「生活がきつい」「国が悪い」「会社が冷たい」 そう言いたくなる気持ちもわかる。 でも一度、こう問い直してみてほしい。

自分は、本気で“考えた”だろうか? 自分は、“どうしたら価値を生み出せるか”を考えたか? 自分は、誰かの役に立つために何をしたか?

ほとんどの人は、「会社が悪い」「社会が悪い」と言う前に、 自分自身が“何もしていない”ことにすら気づいていない。

逃げることのツケは、自分だけで済まない

そしてもっと深刻なのは―― その「逃げ」のツケは、自分の子どもや家族に回るということだ。

親が考えることを放棄して、楽な道ばかり選び、 「なんとかなるさ」と何もしなければ、 その結果、子どもたちは貧しい環境で育ち、 将来の選択肢を奪われる。

これは男女関係ない。 今の時代は共働きが前提。 男だろうが女だろうが、 「どうやってもっと稼げるか」「どうやったら家族を守れるか」を 考える責任がある。

優しさを履き違えてはいけない

最近、よく見る光景がある。 誰かが「つらい」と言えば、「わかるよ」「苦しいよね」と優しい言葉をかける風潮。 それ自体は悪いことじゃない。 でも、それだけじゃ人は救われない。

本当の優しさって、 「痛かったね」って言うだけじゃない。 「どうしたら次は痛くならないか」を一緒に考えて、 ときには厳しいことを伝えて、 必要な道筋を示すことじゃないか?

自分が努力して、自分が強くなって、 その強さで周りを守る。

これが本当の優しさなんじゃないかと思う。

「考えること」をやめたら、何も変わらない

多くの人が「脳死」で働いてる。 ただ時間を差し出して、その対価として時給や月給をもらう。 それを否定するつもりはない。 でも――

少しだけでもいいから「考えて」みてほしい。

  • どうすれば自分の価値を上げられるか
  • どうすればもっと必要とされるか
  • どうすれば今より1円でも多く稼げるか

それを考えない限り、 文句を言っても、寄り添われても、 何も変わらない。 むしろ悪化していく。

大人なんだから、考えよう。逃げるな。

「厳しい」って思うかもしれない。 でもこれは、あなたを否定したいわけじゃない。 本気で良くなってほしいと思ってるからこそ言ってる

優しさって、時に厳しい。 でもそこには“未来を変えたい”っていう想いがある。

大人なら、どう生きるかを考える責任がある。 その責任を果たすことが、 結果として、家族や子どもたちの未来を守ることにつながるんだ。


甘えたい気持ちはわかる。逃げたい気持ちもわかる。 でも、逃げてるだけじゃ、何も変わらない。 だったら、一緒に考えようよ。

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