スタバで仕事をしていたときのことだ。 60代くらいの女性と、その母親らしき90歳近い女性が隣の席に座っていた。
60代の娘は大きな声でこう言った。
「私もお母さんと一緒にいたいけど、私にも生活があるし、経済的に余裕がないの。だから老人ホームに入ってもらうから、理解してね。」
その言葉を聞いた瞬間、胸がざわついた。相手のことを本気で考えているようで、実は何も考えていない。そう感じた。
なぜ一緒にいられるように、自分が強くなろうとしなかったのか。親はあなたを育ててくれた恩人だろう? 「生活がある」「お金がない」——その言葉を盾にして、大切な人との時間や関係を切り捨てる。 そんなものはただの自己正当化にすぎない。
もちろん、すべての人が強くなれるわけじゃない。 生まれ持った能力や環境、運、そういうものの差はある。 でもだからといって、対して努力もせずに「私は弱いから仕方ない」と投げ捨てる人間があまりにも多すぎる。
それは責任放棄だ。
俺だって逃げられるなら逃げたいさ。だけど逃げたらもっと大きな問題になることがわかってるから、 嫌でも歯を食いしばって頑張ってる。そうしないと、守るべきものが守れないからだ。
最近は根性論を毛嫌いする風潮があるけど、俺はその風潮こそ間違ってると思う。
「自分を大切に」とか「無理しないで」って言葉に隠れて、努力しない理由を正当化してるだけじゃないか?
違うだろ?
本当の優しさってのは、強さの上にしか存在しないんだ。 弱いままで誰かを救うことなんてできない。 甘えて逃げて、その場をしのいでも、最後に残るのは後悔と孤独だけだ。
だから言いたい。
逃げるな。甘えるな。守るべきもののために強くなれ。
それができないなら、せめて「逃げている」という自覚を持て。
それを自覚せずに、まるで被害者のような顔をするな。
強くなろうとする意志と、努力するプロセスこそが大事なんだよ。 それがある人間だけが、本当の意味で誰かに優しくなれるんだ。
俺はそう信じている。