「正しい」だけじゃ人は動かない──“価値を生む側”に立つということ

世の中を見ていると、「正しいこと」が必ずしも評価されるわけじゃない。
それは誰よりも、俺が一番痛感していることだ。

いくら構想が論理的で、社会的に意義があって、未来にとって必要だとわかっていても、
人はそれだけでは動かない。
なぜか?
答えはシンプルで、「目に見える結果」がなければ、多くの人は理解も納得もしないからだ。


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価値を“語る”だけでは、価値にはならない

今の世の中のほとんどは、すでに“価値があるもの”に便乗して生きている。
人気のIPに乗る。温泉があるから推す。映えるから仕掛ける。
要は、“すでにある価値”に名前をつけて、売ろうとする。

でも本当の価値って、そういうもんじゃない。
価値とは、生み出すものだ。
それを生み出して、磨いて、時間をかけて定着させていく。
それが「ブランド」だし、それが「文化」になる。


多くの人は、考えない。だからこそ、最初の一歩は孤独だ。

構想を人に話すと、こう思うことがある。

「なぜ、これが伝わらないんだろう?」

でもよく考えればわかる。
多くの人は日々の生活でいっぱいいっぱいだし、
目に見えるもの、数字、流行にしか価値を感じないのが普通だ。
だから、“論理だけ”では伝わらない。


だから必要なのは、まず「実績」だ。

俺の構想は、今まさに春名で形にしようとしている。
これはただのイベント企画でも、観光誘致でもない。
価値の再定義であり、地方から始める文化の再構築だ。

でも、それがどれだけ本質的でも、
「目に見える成果」が出ないと、人は評価しない。
だから、俺はまず小さく始めて、確実に結果を出すことに集中する。
少数精鋭で動き、火をつける。
それが“証明”になり、論理が社会で通用するようになる。


「正しさ」と「結果」の両輪が揃って初めて、世界が動く

人間の真理は、綺麗ごとでは動かない。
論理だけでも、熱意だけでも、説得力にはならない。

でもそこに、「実績=現実」が加わった瞬間、
人はようやく納得する。
「なるほど、そういうことか」と。

だから俺は、価値を生む側でい続けたい。
そして、それを“証明”するために、今ここから動く。


「当たり前でしょ」と言われる言葉にこそ、本質がある

俺がこういう話をすると、「そんなの当たり前じゃん」っていう人がいる。
「何を今さら」「誰でも知ってることを偉そうに語ってるな」っていうような空気を出してくる人もいる。

でも違うんだよ。
これは、ただ“知っている”ことと、“辿り着いている”ことの違いなんだ。

この思考に本気で辿り着くためには、
日々の当たり前を疑って、
社会の構造に疑問を持って、
ときに孤立してでも、「なぜ」を突き詰める姿勢がなければ無理なんだよ。

多くの人はそこまで考えない。
だから、ただ言葉だけ知っていても、中身が伴ってないんだよ。
薄っぺらい“共感っぽさ”では動かないし、生まれるものもない。


最後に

これは、誰にでもできる話じゃない。
でも、俺のように「意味のないものに意味を与える」ことに価値を見出せる人間にとっては、
これ以上にやりがいのあるプロジェクトはない。

結果で証明する。
それが、すべてのスタートだ。

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